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私の抱負

2022年も早いものでもう三月が過ぎました。未だに続くコロナ禍に加え、戦争や地震など痛ましいニュースが続いておりますが、お身体お変わりありませんでしょうか。

随分長い間更新をお休みしておりました。読んでくださっていた皆さまには申し訳ございません。

ちょうど今日から年度末ということなので、ぼちぼち更新を再開しようかと思い筆を起こしました。

抱負

年末年始が過ぎ、そして年度が終わり、新しい年度が始まるのが4月という月ですね。

こういう時節は何かと「抱負」などというものを立てたりするものですが、皆様はいかがでしょうか。私は密かに「抱負を立てない」という抱負を立てました。情けない話ですが、私は30年近く生きてきて、こういう時期に立てた「抱負」などというものを成し遂げられたことが一度としてなかったもので、むしろそんなものは立てない方が良い年になるのではと考えたのです。

ところで恐らくですが、私は2021年・年度に1日たりともお酒とタバコをやらなかった日はなかったように思います。しかし「毎日欠かさず飲酒と喫煙を続ける!」などという目標を立てた覚えはありません。わざわざ事前に決めなくても、本当にやりたいことは自ずと実行するものだということでしょう。

満点を目指さない

冗談はさておき、実はそんな私、ここ最近はお酒もタバコも抜いています。しかしあえて抱負を立てたり周囲の人に宣言したりはしていません。吸いたいイライラを水を飲んで我慢するなど、少しだけ頑張っていますが、突然とんでもなく大きなストレスに見舞われたらまた手を出すかも知れません。するとまた振り出しですが、それもまた良いかなと思うことにしました。

何でもそうですが、「満点を取る」ことは疲れます。

それを目指して努力することは大切ですが、努力も運動と同じように得意な人と不得意な人がいます。不得意なことでも満点を目指して頑張る姿勢は周囲からは褒められるかも知れませんが、自分を余計に苦しめる上に、挫折してしまえば再び挑戦する気も失せてしまいます。

それが「抱負を立てる」ことの落とし穴なのではないかと思います。

私は運動のセンスがまるでなく、高校3年時に歩き方の指導をされるような運動音痴ですが、大人になってから一人で黙々とトレーニングすることは好きになって今でも続いています。100キロのダンベルは上げられなくても、最初は40キロも上がらなかったのが、60キロ、70キロと上げられるようになったのは大きな進歩だと思います。

他人と比べて卑屈になったり、自分に多くを求め過ぎて疲れてしまうよりも、昔流行った歌のように、せっかく3歩進んだのに2歩下がってしまう自分や、徒競走のゴール直前で昼寝をかまして負けるウサギを許してあげるくらいの気持ちで生きていけたらなと思います。

その方が「本当に大事なもの」が見つかるような気がします。気がしてるだけですが。

 

四月になれば

最後に私の好きな歌手であります森山直太朗氏の『四月になれば』という歌の詞を紹介します。

夢を持てよと人は言う
夢はなくとも生きている
夢はわざわざ捨てたのに
忘れたころに言いやがる

四月になれば
四月になるさ

泣いてばかりの青春に
ほとほとうんざりしたのです
卒業証書の片隅に
ごくろうさんと書いてみた

四月になれば
四月になるさ

見慣れた町に花が咲く
風もいくぶん優しかろう
大好きな君に会いたくて
何度も歩く道の上

四月になれば
四月になるさ

群青色の海原を
何に例えりゃいいのかと
丸めて弾いた昼下がり
髪も瞼に掛かる頃

四月になれば
四月になるさ

飛べない空に閃いた
愚痴る言葉の軽やかさ
平方センチの黄昏に
天地の差などあるものか

四月になれば
四月になるさ

『四月になれば』 森山直太朗・御徒町凧

「四月になれば四月になるさ」という部分がとても好きで、気持ちが行き詰まりそうになった時はよく聴いています。

 

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