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円龍寺通信 2023年 1月号「生活という舞台」

2023年になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?

2022年は、ロシアのウクライナへの軍事侵攻や、安部晋三元首相の暗殺など、社会的には本当に悲しい出来事がたくさんあった年でした。また日本ではほとんど取り上げられませんが、西アフリカで慢性的に起こっている紛争などによる難民危機、それに伴うさらなる気候変動も叫ばれるこの時代に、「あけましておめでとうございます」などと言うことすら憚られる気がします(そもそも喪中の方もいらっしゃるので、このような場所で使う言葉ではありませんが)。

話は変わりますが、私は今年の5月に30歳になります。その中で感じるのは10~20歳の10年間と比べた、20~30歳の10年間の圧倒的な時間感覚の短さです。そんな話をあるご門徒さんとしていたのですが、その方は「いやまだまだやで。70代なんかもっと速いから。」と仰っておられ、それを聴いて私は戦慄を覚えました。

そう考えれば人生というのは、私が子どものころに考えていたほど長くないように思えます。それは年齢を積んでいくことで「はじめて」のことが減っていくから、つまり世界を見る眼が新鮮さを失うからだと言う人がいます。私もそのように考えてきました。しかし、私を含めたほとんどの人は、10代の少年のような気持ちをずっと持ち続けて生きるなどできないだろう思います。いえ、むしろそうあるべきというものでもないのかなと最近は思っています。

私はこれまで色んな種類の仕事を通して、その中で同年代や働き世代はもちろん、若いところでは小学生から中高生、年上だと100歳近くの方々と関わってきました。その中でやはり世代によって、同じものを見ていてもその景色は大きく違うように思えます。もちろん人それぞれ違うでしょうが、社会的な立場や状況、そして健康(老いと若さ)による影響というのは大きいでしょう。

何が言いたいかと申しますと、私たちは年齢を追うごとに時間感覚は速まっていきますが、その中で多くの出遇いや経験によって沢山の「はじめて」を見ているのではないのかなということです。その舞台が「生活」なのではないかと思います。
外から見れば平凡に映るような日常の中にこそ、目まぐるしい時間の流れの中で私たちが生涯を通して向き合っていけるような問いがあるのかもしれません。

私のような若輩者がこのようなことを書くというのも、なんだかヘンテコな話ですが。最近はお参りに出させてもらう機会が増えてきたので、いろんなご門徒の方とお話できて有難い日々を過ごさせていただいています。このお手紙についても何かお感じになられたことなどありましたら、どうぞお気軽にお声かけいただけたら嬉しいです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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