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円龍寺通信 2023年 3月号「タイム・パフォーマンス」

寒さと暖かさが交互する如何にも風邪を引いてしまいそうなこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

最近メディアで「タイパ(タイム・パフォーマンス)」という言葉が取り上げられていました。その意味はと言いますと、ある物事に費やした時間に対する満足度のことを指しており、要するにより少ない時間で満足を得たいということでしょう。実際、現在の社会で私たちにもたらされる情報は一昔前とは比にならないほど膨大で、ビジネスパーソンはその膨大な情報から必要な情報を見分け、処理する能力が求められていることは事実であり、これはビジネスにとどまらず、政治や社会の問題について考える時にも同じことがいえるかと思います。

しかし、中には映画を倍速視聴する人も出てきていることには驚かされました。ある人曰く、倍速でも話の展開はわかるし、少ない時間で多くの作品を見られるから「タイパ」が良いのだそうです。また音楽を聴く際にイントロ(導入)を飛ばして歌から聴く人もいらっしゃるそうです。こういう話を聴いていると、映画や音楽のような所謂「表現作品」も、情報と同じように「処理」される対象にされるのかと少し悲しい気持ちになります。

先日、西加奈子さんの『夜が明ける』という小説を読んだのですが、本を閉じた後、読む前とは違った世界が私の眼には映りました。実際には何も変わっていない只の現実ですが、私には違って見えました。いうなれば本の登場人物の眼で世界を見ているような感覚で、それはあらすじや話の帰結を情報として知るだけでは決して得られないものであると思います。作品のテーマにもよるのかもしれませんが、映画や音楽や小説の世界が私たちに与えてくれるのは「情報」ではなく、見え方、すなわち「レンズ」のようなものではないでしょうか。

作品世界の登場人物の性格や人物像を通して、その人と見方を共にすることは表現作品の醍醐味の一つであると思います。コストカットや効率の追求は確かに必要なことですが、何に対しても、果てには自分の感性や想像力の領域にまでそれを求めてしまうと、かえって生活が貧しくなるような気がしてしまいます。経済的合理性のみに突き動かされる人生というのはあまりに味気ないのではないでしょうか。

最後に、「タイパ」についてネット検索で調べていたら、映画監督の井筒和幸氏が映画の倍速視聴の風潮を痛烈に批判していたので、抜粋してご紹介させていただきます。

「疲れた脳は、疲れついでに映画なんか飛ばし見でいいと判断するのだろうか。で、登場人物を、こいつは敵か味方かだけで見てしまうのか。凡庸な勧善懲悪モノが多いのは確かだが、しかし、敵か味方かだけ探ったところで何も得ない。映画は他人の人生につき合って、そ奴がどこまで人間らしいかを見つめる装置だ。そ奴が愚か者だろうがサイコキラーだろうが、そ奴に入り込んでこそ見えるモノがある。結末だけ追って、何が見えるんだ。」

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