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カンボジアを旅して教わったこと

少しご無沙汰しておりました。

今回から、一人称を「私」から「僕」に変えさせていただきます。あまりかたくならず普段使ってる言葉でお話した方が自分が楽なので・・・(笑)

新型コロナウィルスが流行してから、海外に行くことが事実上不可能な状態が昨年から続いていますが、僕は大学1年生の頃(2012年)から2019年まで毎年ある国に訪問していました。

東南アジアのカンボジアという国です。

アンコールワットがとても有名ですね。

元は兄(副住職)の誘いで訪れたのですが、そこからは兄だけでなく、興味を持ってくれた友達を連れて行ったり、現地で出会った団体からの誘いでイベントに参加するため一人で行ったこともありました。

タイやフィリピン、ベトナムにも旅しましたが、カンボジアだけは毎年必ず訪れていたのは、単純にたくさんの大切な友達と出遇えたことと、街や人の雰囲気が好きだったからです。

カンボジアは僕に大切なことを教えてくれました。

 

雑多な市場、ぼったくろうとするトゥクトゥクドライバー

初めてカンボジアに降り立ち、シェムリアップ(カンボジア北部の観光都市:アンコールワットの街)のマーケットを訪れた私が、最初に衝撃を受けたのはにおいです。

率直に言えば「尋常じゃないクサさ」でした。

獣と魚の生臭さにパパイヤ的な南国の果物の酸味を混ぜたような臭いをモンスーン気候特有の湿った熱気がさらに際立たせていました。

肉売り場では、日本の肉屋やスーパーのようにすでにカットされてトレイに乗ったものではなく、毛と内臓だけ取り除かれた鶏が足を括られ吊るされており、そこにたかるハエの群れ。

日本の大阪というあらゆるものがシステム化された街に生まれ育ってきた僕が、カルチャーショックを受けるには十分すぎる光景でした。

そしてシェムリアップでの観光客の移動手段は主にトゥクトゥク(バイクの後部に座席をつけた乗り物)を使います。

つかまえるのは簡単で、街を歩いていれば必ず声をかけられます。そして相場を知らない外国人の我々からは確実にぼったくろうとしてきます(笑)

日本には白タクなんてものもほとんど聞きませんし、基本移動距離に沿った金額が決まっているので、値切ることもなければぼったくられることもありませんよね。

「発展途上国」と言われる国はこうなってるんだ・・・と思い知らされました。

 

天候も人もドライじゃない

商売人たちは何とか外国人の僕たちから多くのお金を得ようとしますが、だけどもギラギラしているということもないのです。

(首都のプノンペンはギッラギラでしたが(笑)日本もそうですが、大都市はどこも似たようなものだなと感じました。)

例えば、道に迷ったので客引き中のトゥクトゥクドライバーに訪ねてみたところ、自分ではわからないからと周りのドライバーを集めて一緒に考え、教えてくれました。

またある時に同行していた友人がスマホを紛失した時も、ドライバーが一緒に探してくれました。(結局カバンの中にありましたが(笑))

そして、すれ違った人たちやトゥクトゥクでの移動中に道ゆく人と目が合うと基本笑顔で返してくれます。これには感銘を受けました。

日本で生活していると、変に目が合うとジロジロ見てると思われた李、繁華街などだと下手すればケンカを売ってると思われトラブルの元になるので、基本見知らぬ人とは目を合わさないようにするクセがついていますが、しばらくカンボジアにいるとそのクセが消えます。

そしてこちらも自然と柔らかい表情でいられるようになります。

「余裕があるのはどっちだろう・・・」

そんな疑問が頭をよぎりました。

もちろんみんながそうではありませんし、日本人の感覚ではあり得ないほどのサービスの杜撰さや時間のルーズさにイライラしたり、トラブルになることもあり、日本はなんてちゃんとしてるんだろうと思ったりもしました。

しかし、青年期のいびつな尖り方をしていた当時の僕にとって、カンボジアの人たちの明るさと柔らかい表情は閉ざしていた心をそっと開いてくれるキッカケになってくれたと思います。

 

豊かさってなんだろう

カンボジアを訪れる前の僕は大きな勘違いをしていたのだと思います。

日本という先進国から来た僕は「豊かな」人間で、日本の足元にも及ばない給与水準の中で生きている彼らは「貧しい」のだと。

だけど、今日本で生活していて思うのですが、僕らは本当に胸を張って「豊か」だと言えるでしょうか。

長年アフガニスタンで医療活動を続け、2019年のクリスマスを目前に殺害された医師の中村哲さんという方が、著書の中でこんなことをおっしゃっていました。

「発展途上国」ということばが、「後進国」の差別的イメージをさけるために使われてきた。

だが、はたして何に向かっての発展なのか。

もっと公平にいうならば、「先進国」も「発展過剰国」といいかえるべきである。

ちくま文庫『アフガニスタンの診療所から』中村哲 著

「何に向かっての発展なのか。」という非常に重要な問いかけですね。

僕らの国は本当に「豊かな社会」に向かっているのでしょうか。

同調圧力、劣等感、将来の不安に多くの人が自己肯定感を奪われて病み、世代格差とやらで縮小していく地域コミュニティ、引き裂かれていく家族関係、年間に3万人以上の人が自ら命を絶っているこの国の民である僕らは、果たして彼らより豊かなのでしょうか。

安定した職を得て、より多くのお金を稼げば、豊かになり幸せになるのだという考えを軸に生きてきた僕らが踏んでいる大地は、乾き、痩せ細ってはいないでしょうか。

確かに物質的にはカンボジアの彼らよりも私たちの方がまだ豊かと言えるかもしれません。

しかし、僕が出遇ったカンボジアの人びとの姿は、貧しいながらも活力がありました。

人間生活を赤裸々に生きる彼らの目には僕にはない輝きがありました。だから魅せられたのだと思います。

 

生の命を生きる

コロナ禍での自粛生活が長く続く中で、心を病む人が多くおられると聞きます。

特に子どもたちや学生の方々は、たくさん外に出て色々な出来事と出会う大事な時期に本当に辛いことだと思います。

ですが、世の中がどう転んでも「生きている」という事実だけは見失わずに生きていたいものです。

精神論のようで恐縮ですが、たとえ戦争が起きようとも、疫病の脅威にさらされながらも、しおれない命を生きているという実感を持って支え合って人は歩んできたのだろうと思います。

コロナ禍でも、さまざまな人たちとの関係の中で生きていることには変わりありません。

もちろん政治判断や社会のあり方については議論・批判すべきことは大いにありますが、根本的には僕たちが立っている大地を耕すのか枯らすのかどうかもやはり僕たち次第なのでしょう。

今は行けませんが、明けない夜はない精神でコロナ禍の終息を待って、またカンボジアに行きたいなと思います。

最初は辛かったあの匂いも今では恋しくなるくらいになりました(笑)

カンボジアのことは他にもたくさん思い出があるので、また書こうと思います。

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